『ハドソン』とかいう今は亡き伝説のゲーム会社

20180806101435


1: バイト歴50年 ★ 2023/12/17(日) 04:05:09.24 ID:XHA++3mz9
コンピューターゲーム黎明(れいめい)期に大きな役割を果たし、平成25年末にブランドが消滅したゲームメーカー「ハドソン」。
https://news.livedoor.com/article/detail/25522922/
 今年は札幌市での創業から50年となる。家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」のソフトは当初、任天堂が自社で開発していたが、ハドソンは任天堂以外のメーカー参入の道を切り開き、業界の発展を加速させた。「高橋名人」で知られる全国キャラバンは、現在のeスポーツの源流の一つともいえそうだ。「ハチ助」のロゴマークで親しまれたハドソンとはいったい、どんな会社だったのか-。


ハドソンはもともと、工藤裕司氏が札幌市豊平区にアマチュア無線の通信機器などを販売する有限会社として設立。店舗が若者のたまり場となり、パソコン(当時はマイコンと呼ばれていた)に詳しい人材らが集まったことで、ソフト制作にも参入した。親密な仲間でつくった地方の?ベンチャー?だったことが、自由な社風につながったとみられる。

「日本で初めてパソコンのソフトを外販した会社はハドソンだった」と指摘する岩崎さん。著書によると、ハドソン幹部が57年、取引先のシャープの工場(栃木県矢板市)を訪れた際、「懇意にしている会社(任天堂)のハードにベーシックを載せてほしい」と頼まれたのが、両社の縁の始まりだったという。前後して、裕司氏とともに会社を経営していた弟の浩氏が百貨店の丸井今井札幌本店でファミコンに夢中になっている子供たちの姿を見て、参入を決めたという。

シャープが仲介した案件は、後にファミコン向けの外付けキーボード「ファミリーベーシック」(59年発売)に結実する。

ゲーム史に「残すべき」

その後のハドソンの?快進撃?は、多くの人が知っての通りだ。テーカン(現コーエーテクモゲームス)のゲームを移植した「スターフォース」は、宇宙空間で戦闘機を操り、敵を撃つソフト。ハドソンは60年から「全国キャラバン」というゲーム大会を開催。スターフォースや、61年に発売された「スターソルジャー」などが対象となった。現在のeスポーツと異なり、1人用のゲームでスコアを競うことが多かったが、計10万人超が参加した年もあったという。ハドソンの社員だった高橋利幸さんらが「名人」として人気者になった。

日本有数のソフトメーカーになったハドソンは、NECが62年に投入した「PCエンジン」の開発に携わるなどゲーム機事業にも参入した。

しかし、岩崎さんが平成2年頃、再びハドソンと仕事をすると、職場の雰囲気は一変していた。会社が大きくなったからか、内向きで、組織の論理を優先するようになっていたという。

続きを読む

最新eスポーツニュース

もっと読む 
Source 『ハドソン』とかいう今は亡き伝説のゲーム会社 http://yurugame.doorblog.jp/archives/35604207.html