ぷよぷよ生みの親、売上高70億円の絶頂からわずか一年で「ぷよ」のように会社はじけ人生一転…「ぷよの縁」再びゲーム開発の世界に
https://news.yahoo.co.jp/articles/8809b2b3986920bcb2fbc176cfbf17abc1227435
1992年12月、広島市のゲーム会社「コンパイル」。初めて見る光景に、社長の仁井谷(にいたに)正充さん(73)=当時42歳=は自信を深めた。
「1000年先も楽しめるゲームができた」。
それこそが、シリーズ累計で1000万本を売り上げるパズルゲーム「ぷよぷよ」の改良版だった。
落ちてくるスライム「ぷよ」の同じ色を4個つなげて消していく。
親しみやすいキャラクターと簡単なルール、消滅が連鎖した時の爽快感は、幅広い世代の心をつかんだ。
会社の売上高は97年3月期、過去最高の70億円に達する。
そのわずか1年後だった。会社は「ぷよ」のようにはじけ、そして消えた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8809b2b3986920bcb2fbc176cfbf17abc1227435
1992年12月、広島市のゲーム会社「コンパイル」。初めて見る光景に、社長の仁井谷(にいたに)正充さん(73)=当時42歳=は自信を深めた。
「1000年先も楽しめるゲームができた」。
それこそが、シリーズ累計で1000万本を売り上げるパズルゲーム「ぷよぷよ」の改良版だった。
落ちてくるスライム「ぷよ」の同じ色を4個つなげて消していく。
親しみやすいキャラクターと簡単なルール、消滅が連鎖した時の爽快感は、幅広い世代の心をつかんだ。
会社の売上高は97年3月期、過去最高の70億円に達する。
そのわずか1年後だった。会社は「ぷよ」のようにはじけ、そして消えた。
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