【LoL】huanfeng – 海辺にたどり着いた少年

以下、The Boy Arrived at the Seasideより。

(Chinese) Original link: [LPL Player Stories] The Boy Arrived at the Seaside — SN.huanfeng
Text: 丹尼二狗
Photos: League of Legends Pro League (LPL), Suning, GuoKui
English Translation: iCrystalization

19年、代わり映えのしない生活を送ってきて……今、Tang Huan-Feng(huanfeng)の未来には、憧れてきた海のように、未知の可能性が無数に広がっていた。

物静かな子供

プロになってからも、Tang Huan-Feng (huanfeng) には、たまには1人でいたいときがあることだろう。
実際のところ、もし彼が人混みの中に放り込まれたとしたら、最も静かなのは彼になる。高校時代、クラスの担任であったPang先生はこのやや特殊な子供にすぐに気づいた。

「私のクラスの生徒達はバタバタしていて、とてもやんちゃでしたが……huanfengは隅っこで物思いに耽っているような、とても思いやりのある生徒でした」

その後、huanfengは学校を離れ、eスポーツのプロへの道を目指した。IGY(Invictus Gaming Young)のマネージャー、GuoKuiも初対面で同じ印象を持っていた。「彼は最初は人付き合いが苦手で、ゲーム内でもあまり話してはいませんでした」

しかし、互いに仲良くなっていくうちにGuoKuiは彼が自分の意見を抑えがちで、精神的な指導が必要なことに気づいたのだ。

「時々、彼が何を考えているのか分かるときがありますが……そういったときは大抵彼が選択する手伝いをしなければいけません」

2020年のシーズンが始まり、huanfengはSuningへと移籍し、初めてLPLへ降り立った。しかしSpring Splitもまだ続いている中、マネージャーのYuan Xi氏は彼の孤独に少しずつ気づいていた。

たまにチームが休みの日は、huanfengは適当に地下鉄の切符を買って、ぐるぐる回ったり、適当な駅で降りて散歩をして、そして地下鉄にまた乗ったり……「モノポリーを遊んでいるようなもので、ある駅まで行って降りて、色々見て回るんです」Yuan Xi氏が理由を尋ねたら、それがhuanfengのリラックス手段だという。

huanfengにとって、Suningに入りLPLで戦うということは、19年の人生において最大の転機ではなかったのかも知れない。
それでも、数少ない彼自身の努力の成果であり――正しい方向への転機である。
過去、huanfengは幼少期、そして青年期に全くの無力感を経験していた。eスポーツ下層での浮き沈みのように、彼は闘っていたのだ。

2019年半ば、Spring Splitが終わり、huanfeng(IGY所属中)は休暇に故郷である、広西チワン族自治区の沿岸へと帰っていた。

帰郷後、彼は南部にある港にいた。岸辺では夏風がTシャツを揺らし、見下ろしてみれば漁船が川を狭い中行き交っていた。

その瞬間、時間が止まった。プロとしてのキャリアが始まってから初めて、huanfengは完全な安らぎを感じていた。

「知ってました? 何も考えないことって本当に難しいことだったんですよ。その時初めて分かりました」
故郷から帰り、チームへと戻った後huanfengは海を見たいと思った。将来機会があるならば、また一度は行かなければならないと。
もしかしたら、そこでまた同じ感覚を味わえるのかも知れない。

小さな部屋で

子供の頃、huanfengの母はよく答えられないような質問をしていた――「もしお母さんが離婚したら、あなたはどっちに着いてくるの?」

家族にも変化があった。huanfengの少年時代、現実に打ちのめされた両親はつねにいがみ合っているように見えた。
「両親が喧嘩しているときはいつも自分の部屋に隠れてたけれど……防音じゃないから全部聞こえてました」。
父親の親類との関係や、母親の経済的問題など、様々な問題があった。

ある時、huanfengが小学4、5年生のときだが、母親が電動自転車で迎えに来たことがある。帰る道すがらに突然、食べ物を買うお金が無くて、ネギを1本しか買えなかったと言われたのだ。その時huanfengは思った。「なんでこんなことが?」

その後、喧嘩の際には彼が母親のため、父親にお金をせびる伝書鳩として働いていた。
「僕の目の前で、今月の家賃をどうしよう、生活費をどうしようなんて喧嘩を始めることもありました。とはいえ、当時は仕事がなかったから、僕の母親も同じく縛られていたのです」。

中学に入っての初学期、huanfengの母親は少しの間家からいなくなった。次の学期のある夜、母親は帰ってきて……荷物をまとめて故郷へと帰った。言葉もなく、静かな真夜中だった。

母親が家へ入り、スーツケースを持って出ていくのをhuanfengはパソコンの前へ座って見ていた。行き先を訪ねても答えは返ってこず、聞こえたのはドアの閉まる音だけだった。
それ以来、12歳のhuanfengは孤独な暮らしを始めた。子供の頃から両親と共に暮らした小さな部屋で、突然1人になったのだ。

父親は半月に1度200元(約3000円)を送ってきて、時折、親類の元から帰ってきて自分の置いていったコンピューターを使うようなこともあった。明かりはほとんど壊れていたから、夜の帳が下りればモニターのみが頼りだった。

「人に頼る姿を見ると、あまりよく思わないこともありますね。自分で済ますことに慣れてたから……早くに自立できたのはよかったのかも知れません」。

丸々3年間、huanfengはあの小さな部屋、1人で暮らしていた。

崩壊した家庭もhuanfengの世界、そして人々への見方を変えていた。目の前の両親の振る舞いを「そう見られたいだけ」と捉えるようになり、孤独な人生を送ってきた彼は……「本当にいい人がどういう人かを知らないし、そんな人が存在してるなんても思っていませんでした」。

ところが中学には、ホテルを経営している――つまりはhuanfengと真反対な暮らしをしている同級生がいた。毎朝、彼と共に30分ほど自転車で通学し、huanfengの事情を知ってからは時々朝食をおごってくれたりもした。最初はお返しをしようとしていたところ、その同級生はこう言った。「いいよ、おごりだから」。

おごりの回数も増えてきた頃、huanfengは通学路で訪ねた。「どうしてそんなに優しくしてくれるの?」
「クラスメイトじゃなくて、友達だからさ」。

海辺で、huanfengが足を滑らせ、潮に流されてしまったとき、岸辺に多くの人がいる中、その同級生だけが水に飛び込み、彼の手を取ってくれたこともあった。

高校へ入りhuanfengがキャンパスで多くの時間を過ごすようになると、よく彼に手助けを求める女性のクラスメイトがいた。
彼女は日曜日に学校へ来るようなことがあると、いつも家から食べ物を持ってきてクラスメイトへ分けていた。

当時のhuanfengにとって、これは「できすぎた話」だった。
だから、彼女にも同じ質問をした……「どうしてそんなに他人に優しいの?」
彼女はこう言った。「それって普通じゃない?」

「ゆっくりと、この2人が僕の観点を変えたんです」。

日中は学校へ登下校し、普通の子供のようにクラスメイトと仲良く。帰ると明かりのない部屋でパソコンの前に1人。夜にはソファで1人寝る。昔は漫画やおもちゃ、オンラインゲームの短剣の模型など、子供の頃の物が残っていたが、1人になってからはそこで寝ることはなかった。

青春は過ぎ去り、過去の問いへの答えがだんだん明らかになっていく。「もし両親が離婚したら、どっちに着いていく?」
「自分。パソコンと、学校と、クラスメイト。これで十分、これでいいんだ」。

約束

huanfengの心中にある、あの瞬間から始まった約束……成就しなければいけない約束。
中学生の3学期も終わって入った冬休み、年も終わる頃、huanfengと父親は正月を迎えるために田舎へ帰っていた。

子供心に、祝い事には反感を持っていた……父の側には知らない人たちがいて、一度帰れば様々な侮辱を受け、何度も怒鳴られる。こういったことが彼に暗い影を落としていた。
それと同時に、父親は議論の余地を与えていなかった。「家に残ったところで、お前に何ができる?」

狭い街の、狭い場所に住んでいて、普通の家族はみんな正月には帰省している。1人で残っていては食事をするのも大変だ。

田舎には父親の大家族がいて、Huan-Fengは子供の中で10人目にランク付けされて「10番」と呼ばれていた。
大晦日、「9番」「10番」「11番」の三兄弟は夜番だったが、こっそり放棄して夜中にインターネットカフェへ向かっていた。

「9番の家庭環境は僕と似ていて、その上2人ともゲームが好きでした。11番は両親が我々と遊ばせようとせず、遊んだら殺すとまで言われていたんです」。

とはいえ、その夜にはそんなしつけも泡のようなものだった。突っつかれて、ネットカフェを見た瞬間に弾けた。
新年を祝うために人はおらず、翌日の早朝まで遊んでいた。「デマーシアの兄弟愛」が当時流行っていたから、1人がジャーヴァン、1人がシン・ジャオ、そしてもう1人がガレンを使っていた。

元旦の朝7時、夜食代の10元を使い果たした子どもたちは朝食を食べないまま帰路についた。ある時1人が――huanfengは誰だったか覚えていないものの――話しかけてきた。「将来プロになろうぜ」。

当時はまだプラチナだったhuanfengにとってそれは冗談のようにしか聞こえなかった。すでに彼はプロプレイヤー、競技シーンに注目していたが、自分からは程遠いものだと感じていたのだ。「自分が彼らと同じだなんて全く思っていませんでした」。

しかしその元旦の朝、彼は兄弟の言葉を真剣に受け止めた。
「子供の頃、両親が喧嘩していると、母親はいつも『父親の言うことは全てデタラメで、全部嘘だ』と言っていました。『男なら自分の言葉に責任を持て』とも」。

新年になって小さな部屋へと戻り、huanfengは自己研鑽に取り組むようになった。ゲームに多くの時間を費やすようにしたのだ。朝5時に起きて、ランクを1戦。クラスメイトに追いついて自転車で学校へ行き、昼休みが2時間、登下校には1時間、残った時間でランクを1、2戦。

また、午後学校を出る前、授業中に宿題を終わらせておくことで時間を節約していた。家に帰って、夜11時に寝るまでゲーム。それを繰り返す。

彼は最初はmidレーナーだったが、ちょっと「違う」と感じ、ADCを始めてみると「これが自分の役割だ」と気づいた。
そのときから、以前の友人と遊ぶようなことはほとんどなくなった。振り返ってみると、「彼らを探して、遊んで、それだけだでした。ただ遊んでるだけで、全く真剣ではなかったんです」。

中学生活も終わりを迎えた頃には、huanfengは高い勝率でダイアモンド1に入っていた。その後スーパーサーバーへと移動し、マスターの200~300LPを達成した。
「本気で何かをやりたいと思ったなら、実現できる力があるのです。信じて」。

最後の決断

中学を卒業し、普通の高校の普通のクラスに入った。卒業し、教師として働くようになったばかりのPang先生の持った、初めてのクラスだった。

物静かで成績も優秀、それがPang先生のhuanfengに対する第一印象だった。同様に、彼女は彼の強気な面も見抜いていた。
「彼は私の大学入試について訪ねてきて、比較さえもしてきました。その時の言葉で一番印象に残っているのが、『先生、僕は将来絶対あなたを超えますよ』というものです」。

Pang先生はHuan-Fengにとって少ない、心を通わせることのできる味方でもあり、同時に友人でもあった。「自分の考えについて何らかの質問を相談できるような人がいなかったんです」。

毎晩、自習室が夜6:40から9:10の間開かれていたのだが、ある夜にはPang先生を探して、そのまま自習室が閉まるまで、そしてベルが鳴って授業の終わりを告げるまでおしゃべりをしていたこともあった。

「ゲームをするか、それとも高校を続けてそのまま大学に行くか、といった質問をよくされました。葛藤を感じていたのでしょう。ゲームが得意で、そちらのほうがリターンは大きいかも知れない一方で、成績も優秀だったので大学に行きたいとも思っていたようです」。

その間、そのクラスでHuan-Fengはつねに1位か2位を維持していた。高校では、勉強もしつつゲームも上達しつつ、と両立を続けていたのだ。

しかし、時間が立つにつれ悩む気持ちが大きくなり、心の奥底では、選ばなければならない日が来ることも分かり始めていた。

そこで、Pang先生と話をするうちに「僕が学校に行かなくなったらどうなりますか? 不登校の子供についてどう思っていますか?」といった質問を尋ねるようになった。

最初は、Pang先生は断固たる態度をとっていた……「当時は、彼がどのくらいゲームをできるのかも知らなかったし、長期的に見てゲームがどうなのかもわかりませんでした。だから私の目には、彼はとても優秀な生徒に映っていたので、教育の道を歩むことを提案したのです」。

しかし、会話の数も増え、頻繁になってきたことで、Pang先生は自分のものさしがぐらついているようにも感じていた。

高校1年のHuan-Fengには他にも様々なことが起こっていた。
例えば、ある時点で父親からの仕送りが不安定になっていたり。いつもは半月毎だった200元のお小遣いが月毎になっていたのだ。父親にいつ送るのか聞いても答えはなかった。

他にも、母親が突然「家のお金がなくなった」と言ってきたり。家賃が払えなければ追い出されてしまうかもしれないから、貯金せざるを得なかった。

月の後半になると、水を1本とまんじゅう2個しか食べなかった日もあった。

また、学期後半に行われたクラス分けもある。huanfengは優秀だったから、優等クラスへと編入された……がPang先生はもはや担任ではなくなってしまった。

彼女はまだhuanfengとの最後の会話を覚えている。何度も話し合ってきた議題、彼女はまだ答えを出せていなかったが、彼にこう言った……何をしてもいい、やりたいことをしろ、と。
「それをしたいと思うなら……先生はそう言っていました」。

その言葉を聞いて、huanfengは天にも昇るような気持ちだったが、Pang先生の目にはまた違って見えていた。「もしかしたら、彼を支えるような家族は本当にいなかったのだろうか」。

やがて、翌年Pang先生は優等クラスの担任を持つことになったが、huanfengと会うことはできなかった。彼は1年生のうちに学校を去っていたのだ。

huanfengによると、優等クラスの生徒とは仲良くなれなかったとか、喧嘩をしたとか。教師は彼らに握手をさせ、仲直りさせたがhuanfengは気にしなかった。ある日、父親にもう学校に居たくない旨とともに、猛烈な文言をメールした。父親がそれを学校に伝えた結果、学校に一晩監禁されることとなった。

翌朝、彼を指導しに教師たちが来て、そして、父親も学校へ来ていた。校長も現れ、ある絵を見せた。田舎と都会の、そして田舎の人間と都会の人間の差を描いた絵で、勉強をしたらどうなるか、勉強をしなかったらどうなるかという指導だ。

正午には父親とともに学校を後にしたが、学校は気持ちの整理を名目に、huanfengの停学を決めた。父親に転校の可否を訪ねたら「1年生を繰り返すことになってもいいなら」と承諾され、その日のうちに近くの私立高校へと連れて行かれた。

門の外に立っていると、父親は知らない人に話しかけていた。この学校に通うことはできるが、お金は必要なようだ。
「なぜ父親はあんな態度をとっているんだろう? 男にとって頭を下げるなんて屈辱的じゃないのか? やっぱり、この人は自分の父親なんだな、と思いました」。

その日、huanfengは1人でバスに乗り街へと帰った。父親とは大喧嘩をした。「学校に行かないなら、何をしたいのか」を聞いてきたが、言い返すことはできなかった。一人でバスに乗り込み、座って、最後の決断をした。

「もういい、俺はプロになろう」

結局、学校を去り、大学入試でPang先生を超えると言った後、huanfengはそれを叶えることはできなかった。

Suningに参加したあと、帰省の話が出た際、huanfengはSofMに「僕の実家とベトナムを隔てるのは小さな川だけだ」と言った。SofMは「全く信じられない」とさえ言った。

北侖川という名の川で、下流の距離は60キロ・中国とベトナムの国境を形作り、トンキン湾に流れ込む。東経107度、北侖川は非常に小さな都市を包んでいる。対岸にはベトナムの都市Móng Cáiがあり、反対側には中越人民友谊公园がある。

その都市は東興、Tang Huan-Fengが育った地だ。高校生の時、門を出るとすぐにベトナム人が屋台でいろいろな物を売っているのを見ることができた。東興港の南部に行くと、さらに多くのベトナム人もいる。学校では、ベトナム語の授業も行っていた。
「一歩足を踏み入れると、ベトナムにいるような感覚でした」。
地図上では、子午線を西にわずかに1°ずらして1900キロ上に移動すると、寧夏回族自治区の首都である銀川に到着する。

2016年、Tang Huan-Fengは東経106度に沿って下り、eスポーツの道を歩み始めた。

学校を辞めるとすぐに、huanfengは知っているすべてのeスポーツ団体に自分の履歴書を送った。年齢、サーバー、ランク、プロになりたい理由などを書いて。その中のいくつかは風とともに消え、あるものには「あなたのランクは低すぎます。もっと頑張って」とだけ書いてあった。

不安が広がった。「ストレスが溜まっていました。あの頃はストレスが溜まりすぎていました」。

しかし、そんな収穫のない期間の後、彼を見つけた人がいた。それは寧夏の銀川にある組織だった。オーナーは自分のインターネットカフェを経営していて、eスポーツチームを作りたいと言っていた。給料は月3000元(約47,000円)。huanfengはあまり多くを考えず、すぐに決断した。
去る前、父親は言った。もし行くのであれば、しっかりやれ。うまくいかなかったら、帰ってきて軍隊に入れ。

銀川に到着したhuanfengは、東興の自宅よりもさらにひどい家に住んでいた。

「家賃は1000元(約16,000円)でしたが、シャワーヘッドは壊れていて、服を洗う場所がなかったんです。自分の服を持っていき、オーナーの家で洗うしかありませんでした」。

その組織の中で、彼は「毎日朝10時にソファから起きて、5時か6時まで夜通しでゲームをして、寝る」というサイクルに入った。

彼のチームメイトは、ネットカフェでバンクカードを使って練習をしていた。小腹が空いたら、テイクアウトを注文していた。しかし、時にはオーナーが親切にも自宅へ招待し、両親が料理を作ってくれることもあった。

huanfengはこの組織に1年以上滞在した。「経験を積んだだけで、何も上達しなかった」1年を無駄にしたと感じていた。
「1年間そこで生活して、プロとしてプレイすることがいかに疲れるかを実感しました。上手くプレーできなかったらどれだけ辛いか? それだけです」。

1年後、huanfengは1万元(約160,000円)を貯金し、銀川とその組織を離れた。しかし、帰り道にはすでに約2000元(約32,000円)を使っていた。

「教えてくれ……どれだけ辛いんだ?」

最初のeスポーツへの道はあわただしく終わったが、軍隊に入ることはなかった。しばらく家にいて、彼は再び旅に出ることにした。しかし、今回は重慶市のWuDu(Snake Esportsの姉妹チーム)だ。

「あの頃は本当に暑かった」。
具体的な月は覚えていない。覚えていたのは気温と、後は多かれ少なかれ、プロになるために家を出るたびに、あるいは再び戻ってくるたびに着ていた服装くらいだった。

2018年はLDLという二部リーグの始まった年で、全国を南京、深圳、重慶、北京の4つの地域に分けて行われた。春と夏に分かれてチームが枠を競う予選が行われた。

5月、huanfengはWuDuのチームメイトと一緒にLDLサマースプリットへの出場権を獲得し、この大会では重慶地区3位になった。しかし、スプリングスプリットでは勝利できなかったため、決勝への出場資格はなかった。
シーズンが終わって間もなく、WuDuのチームキャプテンはhuanfengを呼び出し、彼とサポートはチームから外れたと通告した。ほんの数日前、自分のランクは十分ではないと感じ、もっと努力しようと思っていたところであった。

解雇された日、彼は韓国サーバーでチャレンジャーになったばかりだった。
知らせを聞いて、心臓が脈打ち、複雑な感情が駆け巡っていた。経営陣に理由を尋ねても、より良いプラットフォームとチームを見つけて欲しいとだけ。それ以上のことは言わなかったし、尋ねる気力もなかった。しかし、チームメイトに自分が去ったことは知られたくなかったから、彼とサポートは静かに家に帰っていった。

その数日後、休暇を終えて戻ってきた残りのチームメイトが、huanfengとサポートが行方不明になっていることに気付いた。huanfengは去り際、「今後、LPLで顔を見せてくれるなよ」などと、非常に恥ずかしい、いわゆる「中二病」的な言葉を独り言として口にしていた。

2016年から2018年まで、東興から銀川、そして重慶へと、huanfengは故郷の東興からわずか1°しか離れていない子午線の上で、2年間を無駄にした。
「ネカフェチーム」からLDLまで行っても、Tang Huan-Fengはそれほどの達成感を感じていなかった。彼自身、「よくやったかどうか」しか感じられなかった。

2018年夏のLDL重慶大会には、さまざまな出自の選手が参加していた。LPL、さらにはWorldsまで経験した選手、そして1年後にはすぐLPLの舞台で燦然と輝く新星たち。しかし、huanfengはそのような有名選手や強豪にはあまり注目していなかった。

後日、huanfengがIGYに参加したとき、誰かが彼に向かってまっすぐに言った。「どうして何も知らないんだ?どうして威張ってるんだ?」彼はただ「いや、自分のことだけに集中しているだけだ」とだけ返した。

さて、時を2017年8月に戻してみよう。まだネカフェチームにいた彼は、最終的に彼らが2018年のLDL スプリングスプリットへ出場権を獲得するまで、チームメイトと一緒にいくつかの都市を渡り歩いていた。

出場権を獲得した後、オーナーはチームを別荘へと移し、彼らは「1000元(約16,000円)の家賃」でその家を引っ越した。huanfengは当時、LDL出場権の意味するところを全く知らず、ただ、「自分が出場できればそれでいい」と思っていた。

後日、元LPLの選手がチームに加わり、彼は自分なりのLDLとLPLの意味を話してくれた。こうも言った……
「LPLには行けないよ。この世界で唯一、数十人だけが出場できるんだ。それが君なんてことがあるかい?」

しかし、別荘での快適で楽しい生活は長く続かなかった。後日、チームのサポートが彼らに真実を伝えた――オーナーはLDLの出場権を、より良い練習環境へ交換することを選んだのだ。それを聞いたhuanfengは、もうここにはいられないと思った。彼は父親に手伝ってもらって、家で問題があって、すぐに帰らなければならないと言い訳をした。

彼が銀川を去ったのはその後すぐ、2018年の年の瀬を前にしてのことだった。出発前にオーナーは彼を駅まで連れて行き、その間に現金2000元ほどを引き出していた。新年のお祝いに使うためのものだったと言って。
「もしLDL出場権の件が起こらなかったら、全部話してくれていたら……本当にいい上司でした」。

夢と現実の違いは、すべてのプロプレイヤーが直面しなければならないことだ。しかし、その間をさまよいながらも、huanfengはさらなる高みを目指したいと思っていた。

10月に雪が降る都市、銀川。

2017年10月の最初の10日間に、この地域では1961年以来の最も早い積雪があった。しかし、大雪が本当に降ったのは12月が初めてだった。

ある日――別荘に引っ越すまでもう少しの頃――の正午近く、huanfengがちょうど目を覚ましたところに、突然誰かが「早く来て、外で雪が降ってるから」と言った。彼は六階から、公園全体が白い紙のようになっているのを見下ろしていた。

一行が別の別荘に移動する頃にも、溶けない雪だった。
その日、huanfengと彼のチームメイトは一階に駆け下り、雪の中で遊び、たくさんの写真を撮り、その後、一緒に昼食を食べに行った。

当時、彼にとって雪は目新しいものだった。雪に覆われた世界を好奇の目で見ていると、雪の強烈な冷たさを感じた。彼は思った、現実の雪も、映画の中の雪と同じようなものだなと。

雪の降らない故郷から1900キロ近く離れ、huanfengは生まれて初めて雪を見た。

王冠を掴め

2018年の最終日、WuDuを解雇され、3ヶ月以上家に閉じこもっていたhuanfengは、IGY参加のために急いで上海行きの飛行機に乗り込んだ。

当時、IGYはまだ新しかった。ジャングラー、Leyanを中心としたチーム作りに力を入れており、採用活動を進めていく中で、Leyanはhuanfengのことを思い浮かべたのだ。
1年前、ネカフェチームからWuDuにhuanfengを連れてきたように、彼はかつてのチームメイトを再び呼び寄せたのだ。

初めてGuoKuiマネージャーがhuanfengに会ったのもIGYだ。スプリングスプリットではシーズンで17勝7敗の成績を残したIGYだったが、準々決勝でBLGJに敗れてしまった。

GuoKuiは元々帰国して起業したいと考えていたが、最終的に若い選手たちのためにもここに残ることにしたのだという。サマースプリットを前にチームで調整していた際、GuoKuiは選手たちを小さな部屋に集めて、今後のことを話し合った。彼は自分の過去の経験や、様々な考えや選択、そしてチームの将来の計画などを話してた。多くの、多くのことを話した。

「一人一人が若くして、こんなにも多くのことを諦めてきている。皆が経験してきたこと、そして犠牲にしてきたことのすべてが、目で分かる。でも、せっかくこの道を選んだのだから、最後まで歩んでいかなければならない」と。

スプリングスプリットには、IGYの運営は厳しく軍隊的で、目標が一人一人に厳しく課せられていた。しかし夏には、GuoKuiはそんな空気を変えようとしていた。

「経営者、コーチ、チーム、ファンのためにプロになった人はいない、という感覚を彼らに伝えたかったんです。自分のためになったのだから、自分が本当に向き合うべきものは、自分自身でなければならない」。

サマースプリットの間、GuoKuiは彼らに自分の目標を設定させた。特定の選手に焦点を当てて、コミュニケーション能力や価値観の向上に関する本を読むように指示したりもした。

休みの日には、上海のいろいろな脱出ゲームに行ってリラックスしていた。ある時は、チーム全員で特に怖い脱出ゲームをやったこともあった。中に入った途端、みんなビクビクしていて、暗い空間でプレイすると、こぶやあざができてしまうのではないかと心配していた。半分近くの選手はギブアップしかけていたところに、GuoKuiは言った。
「大丈夫、これはチームゲームだから。チームメイトを信じなければならない。私たちならできる」
GuoKuiのリーダーシップにより、チームから脱落した選手は一人もいなかった。

脱出ゲーム中のIGYの面々

ADCは常にミクロの腕前を維持しなければならないロールだ。

GuoKuiは、huanfengを「チームの中で一番頑張っていて、他の誰でもかなわない」と評した。
2019年のLDL サマースプリットでは、huanfengは毎日朝5時か6時までランク戦をしていたし、休暇中も外には出なかった。

「たまにチームでご飯を食べに行こうとした時に、『最近動きがあまり良くない気がする。もうすぐ試合があるから、あと2試合だけランク戦をやるよ。みんなは食べ残しを袋に入れてきてくれれば大丈夫だよ』と言っていました」。

2019年8月5日、Invictus GamingがIGYのジャングラーLeyanの昇格を発表した。その後、LeyanはLPLの舞台でデビューを果たし、2019年のLeague of Legends World Championshipに向けてチームに合流した。
Leyan昇格のニュースは、huanfengに大きな衝撃を与えた。WuDuからIGYまでのチームメイトや友人として、huanfengは彼をとても羨ましく思っていたのだ。

「Leyanが昇格するのを見て、huanfengは『よし、僕はLeyanに追いつくぞ。僕が彼をキャリーするから、彼にずっとキャリーさせるわけにはいかない』と言っていました」。

GuoKuiとの会話の中で、huanfengはチームの力になりたいという気持ちを表現していた。次の試合では自分を中心にプレーさせてくれないか、とも。その言葉を聞いて、GuoKuiは少し感動した。

2019年9月8日、18勝6敗の成績でIGYはレギュラーシーズンを25チーム中2位で終え、LDLサマープレーオフに進出した。
14日後の決勝の舞台で、IGYはEDGYに3-1で勝利し――彼らは優勝トロフィーを掲げた。一方で、チームメイトと共に表彰台に立った時、huanfengは興奮してはいなかった。反対に、全てが落ち着いたような気がしていたのだ。

「目標をついに達成できた」。

ステージの下、GuoKuiは選手たちがトロフィーを持ち帰る姿を見て泣きそうになった。
スプリングスプリットでは、チームのトップレーナーである705にプレッシャーがかかりすぎていた。彼は逃げるために飛行機のチケットを買いたいと思うほど、苦しい思いをしていた。サマースプリットでは、Bo3での初戦を終えた後、ミッドレーナーのForgeが「もう耐えられない」と、ミスに涙を流していた。
優勝の瞬間に、突然、チームのこれまでの記憶が断片的に飛び出してきて、ごちゃごちゃになっていた。
「このチームに完璧な人はいない。誰もが疑われたり、プレッシャーをかけられたりしてきた。優勝した今、彼らの成長は明らかです。彼らはこの優勝にふさわしい」。

最後のチャンス

「フェアじゃない。なぜチームメイトはみんなLPLに行ったのに、自分は行けなかったのか? 一体何が悪いのか?」

2020年初頭、移籍期間中、huanfengが自問自答し続けたのがこの疑問だった。2019年末には、LDLで優勝したにもかかわらず、LPLへの出場をほぼ逃してしまった。

「最初、私たちを探していた組織があり、トライアウトを課してきました。僕としては、すべての最初の段階で、選手たちはそこから学び、経験するべきだという信念を持っていました」。GuoKuiは、移籍期間の開始時の状況を説明した。

すでにInvictus Gamingに所属していたLeyan、Vici Gamingと契約していたForgeを除けば、最初にトライアウトを受けに行ったのはhuanfengという選手だった。上海から北京、JD Gamingへ。

「そこに行って初めて、LPLとLDLの差がいかに大きいかを実感しました」。

JDGでの数日間のトライアウトで、初めてLPLチームやプロプレイヤーと接触したhuanfengは、非常に緊張していた。……結局、彼は合格できなかった。

huanfengは、すでにLPLで活躍しているLeyanを、自分が追いつくべきターゲットと考えていた。しかし、彼は自分とこのステージとの間にある本当のギャップを実感していた。JDGのトライアウトが終わると、彼は意気消沈し、GuoKuiに「もうトライアウトはしたくない」「自分はゴミみたいだ」「一人で家に帰って休みたい」とメッセージを送った。一度の失敗が導火線となって、負の感情が一気に押し寄せてくる。

GuoKuiはHuan-Fengのメッセージを見て、怒りを覚えた。
「あの日、私は彼とWeChatで長時間話したのですが、彼はとても動揺していました。私はLPLのトライアウトをして、LPLから学ぶことには何の問題もないと思っていました。たとえ合格できなくても、それでいい。最悪の場合はただ戻って来ればいい。でも、逃げることはできない、と」。

最終的にGuoKuiとTang Huan-Fengは合意に達した。家に帰して2日間休ませてから、上海に戻ってトライアウトを受けると。

JDGのトライアウトが終了した後、huanfengは他のチームへも向かったが、結果は同じだった。結局、最初にトライアウトを行った選手から、まだLPLに加入していない最後の選手になってしまい、移籍期間は急速に短くなってしまったように思えた。

最初、huanfengは考えた。LDLであと半年プレーしてみるのはどうだろう? しばらくの間、落ち着こう。
しかし、チームメイトが次々とLPLに旅立っていくのを見て、彼はストレスを感じていた。移籍期間が終わろうとしていた頃、ついにGuoKuiに本音を打ち明けた。

それと同時に、SuningはIGYに連絡を取っていた。GuoKuiは彼に尋ねた。もう一度やってみないか? そして今度こそ、huanfengはついに決心し、この最後のチャンスを掴んだのだ。

「LDLでプレーして、優勝して、次は? もちろん、もっと大きなステージに行きたいのは当然です。しかし、もしその時にまだうまくいっていなかったならば、それを受け入れていたでしょう」。

2020年のLPL Spring Split 移籍期間の終わりに、Yuan Xiとチーフマネージャーはトライアウトのため、huanfengを迎えにIGYにやってきた。
Yuan Xiは、上海の冬に「白兎飴」とプリントされたセーターを着て路上に立っていた、虚弱で遠慮がちな少年の姿を今でも覚えている。それがhuanfengとの初対面の場面だった。




LPLへようこそ

2020年を前に、すでにSuningで1年を過ごしていた台湾人選手のHu Shuo-Chieh(SwordArt)は、新シーズンをどうプレーするか考える毎日を送っていた。

「その時に思ったのは、サポートとして、自分のミクロのレベルを下げて、マップにもっと気を配り、もっと声を出して、自分の考えをもっとチームに伝えられたら、それが一番みんながまとまるのではないかということです」。

年が明け、スプリングスプリットが始まり、数試合をこなしたことで、その思いはさらに強まった。こうして2020年は、多かれ少なかれSwordArtがキャリアの中で最も多くのことを語った年となった。

「以前Flash Wolvesにいたとき、そして去年のSuningでは、あまり話す必要はありませんでした。でも今は新人が入ってきたので、今までは言わなくてもよかったけれど今では言わなくてはいけないこともたくさんあるし、ただ言うのではなく、大きな声で言わなくてはいけません。少なくとも他のプレイヤーに方向性を示さなければなりません」。

しかし、チームメイトとの頻繁な試合中のコミュニケーションが習慣になると、徐々に喉が痛くなってきた。Summer Splitの中盤以降には、SwordArtは時々、スタッフに咳止めを買ってきてもらうこともあった。

彼が言及した新人とは、トップレーナーのChen Ze-Bin(Bin)とADCのhuanfengのことだ。2020年を前に行われた年次選手会議でSwordArtはhuanfengに「トライアウトが終わった後、戻ってくるのか?」と尋ねた。huanfengは「多分」と答えた。後日、彼はこの小さな若者がボットレーンでパートナーになることを知った。

huanfengのSuningデビュー戦前日、SwordArtは食事中に「明日の試合で何をしたらいいかわからなくても、土壇場に追い込まれていても、会話を止めるな。自分でそう思ってなくとも、『問題ない、心配するな、俺がキャリーするから』とみんなに言わないといけないんだ。チームを安心させなければならないんだ」と語った。

その後、Suningは惜しくも2日目には敗北を喫した。それでも、SwordArtはADCが良いパフォーマンスをしたと思っていた。「新人が初戦を戦う気持ちはよく分かります」。

台湾出身のSwordArtと広西チワン族自治区出身のhuanfeng、5歳離れた2人は次第に兄弟のような絆を築き、「兄と弟」のような関係になっていった。SwordArtは試合が終わると、必ずhuanfengにミスについて話していた。もしhuanfengが最初に聞き入れなかった場合は、次の機会に厳しく指摘した。
「彼にこういった習慣を捨ててほしいと伝えたかったんです」。

新人がより速い速度で上達するために、Suningもアシスタントコーチであり元ADCのFuryの予定を調整し、試合ビデオからより小さな範囲での見直しまで、ボットレーンへ寄り添うようにしていた。
スプリングスプリットが終了すると、huanfengは8つのMVPを獲得していた。これはSmlz、Puffと同点で、レギュラーシーズンで最もMVPを獲得したADCの一人となったのだ。

しかし実際には、huanfengはこの一方的に「伝授する」形を維持したくなかったという。
「SwordArtに言ったんです。スクラムや試合の後に叱ってくれたらいいのに、どこで何が間違っていて、どこで何をしているのか教えてくれたらいいのにって。それか、ゲームの中で思い切った動きをして、僕についてこさせるとか。そうやって上達していくしかない。だって、1人の人の言うことばかり聞いていたら、誰も反対してくれないから、僕も上達しない」。

しかし、あまりにも叱責されると、huanfengも爆発してしまうことがあった。ある日、サマースプリットの後半、huanfengとSwordArtがデュオをしていたことがあり、ある試合の後、二人は練習室で口論になった。huanfengが練習室で、自分のサポートに猛烈に気持ちを伝えたのは初めてのことだった。

その後、二人が一度もデュオを行わない期間が続き、SwordArtが「このままではいけない」と感じるまでになった。しかし、彼が率先してhuanfengを探して初めて、相手がなぜこんなに怒ったのかに気がついた。

「あの日はSofMがたまたま敵側にいて、僕が喋ったら全部聞こえてしまうのでpingを使って誘導し続けていたんです。そして、僕はランク戦をするときはあまり喋らないようにしています。ボットレーンにこだわるよりも、ゲーム全体を見てもっとコミュニケーションを取って、レーニングではお互いのシナジーに任せるべきだと思ってもいます。でも、『せっかくデュオをしているのだから、ちゃんとコミュニケーションを取っていこう』という気持ちがあったんでしょうね。だから何も言わないでいると、話したくないからなのか、ゴミだと思っているからなのか、ということになります」。

huanfengの怒りの原因を振り返ってみると、Hu Shuo-ChiehもマネージャーのYuan Xiも、笑っていいのか泣いていいのかわからない状態だった。
「後になってから知ったけれど、僕がランク戦で彼を真剣に捉えていない、と感じられていたことがわかったんです」。

LPLに来てからも、huanfengは先を見越して、多くの部分で自分を鍛えなければならなかった。Yuan Xiは彼に言った。

「君はSwordArtが話しかけてこないと言うが、実際には1回の試合だけで、SwordArtは君の100倍以上話しかけているぞ」。

スプリングスプリットが終わると、huanfengはYuan Xiに尋ねた。「IGYにいたときは休みがあるとすぐにみんなで遊びに行っていたのに、どうしてなんですか? みんなで脱出ゲームをやったり、そういう機会がたくさんあったんですよ。なぜ今はないんですか?」

Yuan Xiは言った。「組織ごとに経営スタイルは違うが、こちらにはこちらのメソッドがあるんだ。君はそれに適応しなければならないし、そうすることで、もしかしたらもっと良い結果が出るかもしれない」。

「彼がまだ経験していないこともあるので、仕方ないことですね。私たちは一歩ずつしか進めませんから…」。

Yuan Xiは、スプリングスプリットで、もしhuanfengがパフォーマンスを維持することができれば、もしかしたら年末には2020年の最優秀新人賞候補になるかもしれないとも考えていた。

サマースプリットでは、チームの全体的な調整に続いて、huanfengは犠牲となる役割を演じようとしていた。Yuan Xiもそれを見ていた。
「選手は、しばしば1つの特徴だけを持っていることが多いです。チームの中心としてプレーするのか? それとも、チームメイトがマップ上のどこかにいる間に、自分たちだけでファームをし続けるのか? 私たちはhuanfengにその両方の可能性を見出したのです」。

2020年8月9日、LPLサマースプリットは終わりを迎えた。SuningはFPXに2-1で勝利。チーム史上最高の成績を残した。

Worldsに出たことのないトップレーナーとADC、Worldsに出たことのあるサポート、Worldsに出そうになったジャングラー……それが今のSuningだった。

プレーオフが始まる前の夜、Yuan Xi監督は全選手にこう言った。「ここまで来たからには、覚えておいてほしい、我々は人間であって、我々には野心がある。野心を持つことは悪いことではない、特にeスポーツにおいては」。

一方、huanfengを最も長く知っていて、同じ部屋で過ごしていたSwordArtは、自分よりも遅く寝て自分よりも早く起きるこの少年に、毎日、過去の自分の影を見ていた。「彼は本当によく練習していて、本当に気合いを入れているんです。彼を見るたびに、プロになったばかりの頃の自分を思い出しますね。試合以外のことは何も求めず、もっといいプレーをしたいとだけ思っていて……もうちょっとだけ全力を出し切れば、チャンスはあるかもしれないと思っていた、あの頃です」。

エピローグ 海辺にたどり着いた少年

2019年も終わりに近づいたある日のこと。学生時代と同じように――ランク戦をするために早起きしていたように――huanfengは朝の5時か6時に目が覚めた。ベッドから出た後、彼は荷物をまとめて上海を出発し、最初のフライトで南寧に向かった。

飛行時間は約3時間半、南寧に到着した後、1時間半電車に乗って方城港まで。その後、小型バスに乗り換え、さらに1時間ほど。
午後3時か4時頃、彼は東興に戻った。休暇はあと2日ほど、父親には帰ることを伝えていなかった。

最初に、彼は自分が住んでいた小部屋に向かった。扉を押した瞬間、彼は「何もかもが違う」と感じた。
ほこりの匂いもしなかった。昔は休みに一人で帰ってきても、いつも家の中は汚れていた。どこを拭ってみても埃が舞っていたものだったが、しかし、家の中には誰かが掃除をしていた痕跡があった。
この家の中で起きた一連の出来事が、目の前で急速にフラッシュバックした。ようやく気がついた。ここに住んでいた過去の子供に比べれば、彼は「もう大人になっている」のだ。

簡単な掃除をした後、タクシーに乗って市街地を出て、そこまで遠くない東興の海辺、有名な観光地である万偉金ビーチへ向かった。
子供の頃から数えると7、8回ほど行ったことがあるという。幼い頃両親に連れられて、その後は彼は友達やクラスメートと一緒に。
「一度行ったら、一度は溺れる」そんな感じだった。
五行に基づくと、huanfengの人生には火が欠けていた。そのため、彼の名前には二つの火が記されており、父親も彼にこう言っていたものだ。「水の近くには近づくな。もっと赤い服を着ろ」。

Huan-Fengは「焕烽」と書くとのこと。

萬偉に向かう途中、huanfengは自分の過去について考え続けていた。タクシーがやっと目的地で止まったとき、彼は少し悲しくなって、少し涙を流した。涙を流しながら、自問自答した……なぜ泣いているのだろう?

ホテルの部屋を予約した後、金色の浜辺を散歩して、遠くに太陽がゆっくりと沈むのを見ていた。思考の海に沈みながら、海を見ていた。以前プレーしたLDLのこと、将来行くかもしれないLPLのこと、学生時代の同級生のこと、今何をすべきか……

何も考えないでいたあの時間のことを考えて初めて気付いた。まだ食事をしていなかった。

2日目は午後までホテルで寝ていた。目覚めた後、水辺のベンチに座って海を眺めていた。昨日の夕方、30分ほど浜辺を歩いたが結局、半年前のあの感覚……心を空にして「何も考えないでいられる時間」を見つけることはできなかったのだ。

東興港でのあの平凡な夏は、決して繰り返すことはできなかった。
しかし、いずれにしても故郷の海辺で、彼は長く失っていた平穏と静けさを満喫していた。「プロになってからは、不安なときは海に関係する場所に行けば、気が楽になれる。一つのこと、一つの問題のためだけにそんなひどく揺さぶられることはないだろう」

3日目、huanfengは荷物をまとめて上海に戻り、自分のキャリア、そして現実へ戻っていった。

19年間、質素で静かな生活を送ってきたhuanfengの未来は、彼が憧れる海のように、無数の未知の可能性を秘めている。

ちょっとした小休止の後も、huanfengは前に進み続けるだろう。

 

iCrystalizationさん、私の記事を翻訳してくれてありがとうございます。この記事が出てきてから、ある日huanfengが私に言ったんです。「君の物語には終わりがあるけど、僕のesportsの物語は、世界のトッププレイヤーになって初めて終わるんだ」って。感動しました。

 

翻訳者: おおきいルル

 

管理忍

事実は小説より奇なりでござる。

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